バーチャルユーチューバーとは何か part3 〜思いつき〜
こんにちは、たけです。
ふとバーチャルユーチューバーについて思いついたことがあるので書き留めておく。
前のパートの流れは基本無視です。滑らかに繋げられたらかっこいいんだけどなあ。
思いついたことというのは、"バーチャルユーチューバー"の"バーチャル"性の正体らしきものである。
皆さんもご存知のとおり、バーチャルユーチューバーとひとことで言ってもその多様性ゆえにどんなものを指しているのかわからないことが多い。人によってそれはバーチャルユーチューバーだ、それはバーチャルユーチューバーっぽくないとかいろいろあると思う。
そこで、"バーチャルユーチューバー"の"バーチャル"性の強さというのを、「表現者の世界に入り込むために視聴者側がいかに負担を負うか」にみてみるのはどうだろうか。
もっとメタでざっくりした言葉で言い換えれば「配信者側に対して視聴者側がどれほどのRPをすることになるか」ということである。
かっこいい言葉で言えば、バーチャルユーチューバーにおけるRPについてのコペルニクス的転回である。(言ってみたかった)
大抵、バーチャルユーチューバーは中の人がいるし、外見と中の人は年齢や性別や体型や...いろいろなものが異なっている。当然だ。
そして当然のように視聴者側はその事実を受け入れている。高校生バーチャルユーチューバーの中の人が25歳だったとしてもそのことを拒絶していてはバーチャルユーチューバーコンテンツなんてみれたものじゃない。
すなわち、視聴者側はたとえば高校生バーチャルユーチューバーなら高校生をみているものとして応援しなくてはいけないし、勇者バーチャルユーチューバーなら勇者と接するようにコメントしたりツイッターでリプライ送ったりしなくてはいけない。
と、いろいろ言ったがここで言っていた"バーチャルユーチューバー"というのは"バーチャル"性が強いバーチャルユーチューバーについてである。
"バーチャル"性が低いなら、どのように接することになるだろうか。
ただ、かわいい外見をもったバーチャルユーチューバーへコメントを打つときは、なんら気をつけることはないし、おじさんの声の狐娘の動画を見るときはおじさんの話を聞くものとして聞いていればいい。
私たち視聴者はあちらのキャラクター設定に振り回される必要がないということだ。
このようにして、こちらのRPの負担の大きさで"バーチャル"性を定めるというのはかなり"バーチャル"の普段の用法に近いのではないだろうか。俺だけかな
しかし、以上の話は完全に視聴者側に偏った見方である。私はバーチャルユーチューバーみたいなのになったことがないのでわからないが、やはり配信者側にもRPの負担はあるし、その負担の大きさもやはり"バーチャル"性を表していると考えるのが妥当そうである。
ということは、"バーチャル"というのは画面の向こうの存在ではなく、はたまた表現者が生み出すものでもなく、表現者と受け取り手の間の相互RPによって、2者の間に生まれるものだということができそうだ。
思えば、バーチャルユーチューバーというのはアニメのかわいいキャラクターと何が違うのだろうか。それはキャラクターと視聴者のインタラクティブな関係の有無だったのではないだろうか。そう考えると尤もらしい。
"バーチャル"を楽しむのに必要なのは、キャラクターの設定に没入して視聴し応援できるハマりと、適度に設定の馴染む表現者、そしてその間に生まれる一体感なのだと、そう思った。
・バーチャルユーチューバーってずっと言ってるけど、バーチャルライバーだったりバーチャルインスタグラマーだったり"バーチャル"の名を冠するものがいっぱいある。ここではなんか流れでずっとバーチャルユーチューバーって言ってるけど、なんらかの外見をもって創作活動する人、くらいの広い意味で使っている。この辺の定義とかできたらいいんだろうけどなあ
・"バーチャル"性、自分の好きな外見をもって好きな設定で振舞うことができるとか、そんなところにもあると思います。今回はRPの負担の大きさから考えてたけどもちろん他の視点もいろいろあると思います
まあなんかやっとしっかりしてそうなことがかけて嬉しいです。
ではでは!